秘密があります two

私には秘密があります。

 

私はみんなが思う以上に臆病で怖がりだということです。

普段は基本的に真顔で、普通に笑う時には笑います。

驚かされたときには、反応するまでにほんの少しだけタイムラグがあります。

なにかされてから、何をされたか、何が起こったか、しっかり理解するまでに時間がかかるのです。

そのタイムラグをなかったかのように表情を変えないのが、「驚かない」ように見える原因です。

なんともなかったような顔をしていれば、とにかく何とかなると思っているからかも知れません。

なんともないことはないんですが。

 

周りの人に自分の全てを見せない、自分の全ては自分だけが知っている。

そんな状態です。

 

そのせいか、中学生になるまで同級生に特に仲がいい子があまりいなかったのです。

知らんけど

「こだわり」って何だろう?

「こだわり」

よく自閉症とか自閉症スペクトラムの人の特徴として挙げられますよね。

私もその中の1人です。

「こだわり」に沿って生きています。

 

そのこだわりって何?っていうと、「自分にとっての決まり」です。

自分に不利でもそれに従います

「絶対守るべきもの」、「不安を安定させる方法」です。

破っても何が起こるとかはないんです。

でも、「なんかいつもと違うと違和感あるよね」っていう感覚がかなり強めで出てきます。

それが 、癇癪になったり、ストレスに繋がったりするわけです。

例えば

  1. 椅子から立ち上がる
  2. 椅子を机に入れる
  3.  (始まりor終わりの)あいさつ
  4. 座る

のような、一連の流れがありますよね?

それが生活の至る所に散りばめられてるんです。

「いつものお決まりセット」が1番わかりやすいです。

  1. 連絡帳
  2. その日の時間割通りの教科書、ノート
  3. 体操服

のように学校に持っていくものってお決まりです。

それが新学期になって知らせもなくいきなり変わる、それが「こだわり」に逆らうことです。

 

自分でも思うのが、「不思議だなぁ」ってことです。

 

自分でも分からない時にルールが改正されることもあるんですけども←

そこも不思議ですよね。

 

人に迷惑をかけない「こだわり」ならいいんです。

私の幼少期は「巻き込みこだわり」(主に母に)がありまして、自分が言ったことを実行してくれて、しかもいつ行っても同じ反応、行動をとってくれることに安心するってことです。

今思えばかなり迷惑…

母上ごめんなさい…(´;ω;`)

自分についてよく分からないのもですけど、自分でも何がこだわりなのか意識してないので余計にわかりにくい…

発達障害である私から見た「場の空気を読む」こと

日本には「空気を読む」文化がありますよね。


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なんか目にはっきりとは見えないけど、何となく肌で感じられる「あれ」

発達障害である私にも感じられるのです。

読めないけど。←

私からすれば場の空気って

「なんかチクチクするなぁ」とか「なんか胸がザワザワする感じなだなぁ」みたいな

「はっきりしないもの」なんです。

もしくは、私の生きてきた中での経験上「次はこんな流れになるな」って予測できる感じです。

状況によっては当てはまらない場合も必ずあるので、「空気読めよ」みたいな言葉が結構こころにグサッと来ますけども。

 

小学生(中学年くらい~高学年)とか中高生って独特の空気ってあるでしょう?

 

それが私はめっぽう苦手です。

年によって変わるんだもん!!

それに沿えなければハブられるのよ…ヾ(:3ヾ∠)_

そりゃハブられるのには慣れてるし、なんなら私と同じように賑やかなのが苦手なタイプの子だっている訳だから、その子たちと超仲良くなるわけです。

でもさ、これもある意味ではいじめに繋がることもあるんですよね。

私のクラス、福祉科だから担任の先生に

「このクラスでは、人の心の勉強もします。なのでいじめなんかは絶対に許さない」

的なことを言っていたような…

 

まぁそろそろクラスメイトも私の大人しいような、それでいて子供っぽいような、なのに授業ではかなり積極的に発言し、音楽しかも歌となると普段の声では想像つかないような声(かなり大きい)で歌う

そんな私を「何かが違う」と思い始めたのかも知れません。

 

女子からの視線がチクチクするんです。

これからどうなる事やら…

将来のこと

将来、就きたい仕事や職業、そのために必要な資格と経験…

私が通っている私立高校には専門学科があります。

普通科もありますが、進学を希望するために来る科です。

専門学科は5つ。

  1. キャリアデザイン(2組)
  2. 食物調理科(3組)
  3. 衛生看護科(4組)
  4. 保育福祉科・保育コース(5組)
  5. 保育福祉科・福祉コース(6組)

私が居るのは、6組の福祉コースです。

主に社会福祉と介護、こころやからだのしくみが1年での学習過程です。

 

社会福祉は中学までで言う、社会の公民です。それを少し深く勉強する感じです。

(人口とか、少子高齢化、福祉に関する法律など)

 

介護福祉は見ての通り介護に関する勉強をします。認知症がどんな病気なのか、どんな接し方をすればいいのかなど高齢者に関することが多いと感じられます。

 

こころとからだの理解(ここまでが教科名です)は、私たちのからだやこころのしくみを学びます。

寝たきりになってしまうとどんなことがからだやこころに起こるのかなどが主になっています。

これらは今、現時点での私の感想です。

 

ここからは私のどストレートな思いです。

  • 私は言語聴覚士のような職業に就きたい
  • もしくは、放課後デイサービスの先生のような子供をサポートする職業に就きたい
  • そのためには資格取得が望ましいと考えている
  • 自分の「声」が上手く表せない子に「聲」で表せるようにサポートする仕事もしたい

 

このように、まだ決まってない状態です。

これをひとつに集約できるかどうか…ヾ(:3ヾ∠)_

 


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「障害」と「障がい」の違いとは?

 

昨日5月19日は高校の投稿日でした。

私は保育福祉科の福祉コース(以下、福祉科と略します。)で勉強をしています。

私たち1年生の過程では3つの福祉に関する教科があります。

  1. 社会福祉基礎…社会福祉について学びます。教科書には指文字なども載っていました。
  2. 介護福祉基礎…主に介護について学びます。人権問題などの内容も教科書に載っていました。
  3. こころと身体の理解…人の体について(主に)学びます。

 

今のところ分かっている範囲での説明なので詳しく書けなかったのですが、主にこんな感じです。

これを踏まえて読んでいただきたいのが「障害」と「障がい」の違いについてです。

 

障害…物事の達成や進行の妨げになること

(Wikipediaより)

と本来の意味はこのようになっています。

なぜ「障がい」と表すかは、介護福祉の教科書に説明が載っていました。

「障がい」…障害の「害」という字がマイナスなイメージがあるためひらがなで表している

とありました。

私自身の感覚では、障害がある方は障害があることで生活に支障が出てしまい、周りの方の手助けを必要としている、障害があるからといってその人が「害」ではないから「障がい」になると思っていました。

 

それでも客観的に見て個人の考えとしては良いと思います。

でも実際には「障害」でも「障がい」でもあまり変わりはないのです。

私も障害を持ってはいますが、普通に障害と書くし、障害を持っている方もそれにこだわる人は少ないように思えました。


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つまり…

あんまり気にすることなかった←

ってことです。

 

 

発達障害と診断されるまでの経緯

私は中1の3月(2018年)頃に思春期心療内科がある病院に行きました。

私が行ける思春期心療内科がある病院は2つ。隣県の病院Y病院か隣(?)の市のO共立病院です。

思春期心療内科にかかる経緯は2017年6月、中学に入学して2ヶ月、教室でリスカをしたことが(主な)原因です。

他にも色々あったのですが、のちのちお話します。

病院で検査(って言っていいのかな?)を受けたのは2018年4月1日です。水曜日でした(なぜ覚えているかと言うと、水曜日にしか思春期心療内科の先生以下M田先生がいらっしゃらないからです。)

私の担当の先生はO共立病院の副院長のM田先生でした。その先生以外にO共立病院には思春期心療内科の先生は居ないのです。

中学の同級生2人も行く時間帯や日にちは違いますが、M田先生にかかっていました。

話がそれてしまいました。私が受けた検査の結果を聞いたのは同月の18日。

 

M田先生からは自閉症スペクトラムと診断されました。

私の場合、耳から聞いた情報を覚えることや、頭の中で自分の意見を膨らませていくのが得意で、目で見た情報を覚えることや、素早い反応は苦手でした。

M田先生は「発達障害と言うけれど、凸凹が激しいってだけのことだよ。だから発達障害じゃなくて、発達凸凹って呼ぶべきだよね。」

と言ってくれました。

私にとって発達障害は小学生の頃から私はこれに近いと思っていて、あまり驚きはしませんでした。

発達障害のことは「光とともに…」という本で知っていて、(こういうことは何故か覚えているので)私もそうではないのかな?と思ってはいたんです。

母は驚いたでしょうし、まさか自分の娘がそうだったとは思いもしなかったでしょう。

そして自分の育てかたが問題では無かったのだと、私のことがわかってほっとしたでしょう。

私は小さい頃はかんしゃくを起こすこともあって、言葉が通じないようで、母からしたら未知の生物みたいなものでした(-∇-)

その反面、3歳で幼稚園の先生が読んだ話を1度聞いただけで覚えて、その本を手に取り文章をなぞる仕草を真似て読み聞かせをしていたこともありましたから…

それからは、何かトラブルがあったりする度に予約を入れてM田先生とあっていました。

2019年1月頃からコンサータを服用し始めてからは、月1で通っています。

私的には先生と話さなくても病院に行く道のりや先生に会うだけでも少し安心(?)する感じだったので、トラブルのことなどを話すのはもっぱら母でした。(自分で話せよって私も思いますが)

最近はそう荒れることもないので診察時間がめっちゃ短くて3分かからないんです。(どの患者さんも同じようですが…)

先生の患者さんは多いんだなって…

私が住んでいる県自体思春期心療内科が少ないので、需要があるのでしょう。

私も他の先生に変わった方が良いのかな?とたまに思います。

 

まあ良い先生には変わりないですし、よくしてくれてるんだって思います。
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写真と記憶

私が初めて自分のカメラを持ったのは小学2年生のクリスマスです。今でははっきり覚えてないけど何かのきっかけで写真を撮るのが楽しいと思ったから、おもちゃでもいいからカメラが欲しかったんです。

結構安めのデジカメを父が買ってくれました。

嬉しくて嬉しくて、産まれて2ヶ月くらいの甥にカメラを向けて撮ってました。(そのとき甥は笑ってるときが多かったので良い被写体だったんです。)

小学4年生の12月頃に、3DSを初めて手にしました。

カメラ機能があったので写真を撮りまくってました。

それから、中2の7月にスマホが…(以下略)

当然カメラがついてるんで、気に入った景色とか撮ってました。

 

それで気が付いたのが、私はものすごく忘れっぽいというか、なぜか突然一瞬で記憶(その時まで話していた内容とか)がなくなったりすることがあったんです。

でも写真に収めたその一瞬は写真を見るだけで思い出せるんです。

一瞬だけでなくその前後、

どんな気持ちだったかどんな音がしたか、どんな雰囲気だったかがすぐに思い出せるんです。

 

だから私にとって写真は私の記憶です。

それにしても不思議ですよね笑( ´ ▽ ` )

なんでだろう…
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