ひとつの不安がなくなった。

過去に『生きてて良かった』というタイトルのものを投稿した。

「自分はどこから来てどこへゆくのか、自分が自分という存在であるのは何故なのか、何故自分は自分という身体、意識を持っているのか」

この問の答えの1つが見つかった。

それが

コギト・エルゴスム という命題だ。意味は『我思う、故に我あり。』

世の中の全てが嘘だと考えてもそう考える自分の存在は疑えない  というようなことらしい。(ものすごく簡単に言うと)

デカルトという人が考え出したもので、【コギト・エルゴスム】というラテン語の表記は別の人が後につけたらしい。

 

小学生の頃から自分の中の自分への問が少し怖かった。

この命題を知った時に心の中にスっと馴染む感じがして不安が無くなったと思う。

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生まれつきがたくさん

私にとっての当たり前が世間一般の人と違うことは知っていた。

ただ、思った以上にそれが多いらしいことを最近実感した。

そのひとつが ビジュアルスノー(視界砂嵐症候群) だ。

「なんだそれ?」と思う方が大半だろう。なので症状のいくつかをここに書き出したいと思う。(下の方に私の暗いところで見えるやつに近いGIFを貼っておくので見てください。)

  • 視界全体が細かな砂嵐(アナログテレビを見ている時のようなつぶつぶ、粒子)が見える 
  • 明るいところより暗いところの方が顕著に現れる
  • 目を閉じてもその粒子が見える  etc.....

これにプラスで聴覚過敏や偏頭痛などもついてくるのだ。 

私が小さい頃母にこれを訴えてみた記憶があるのだが、母はビジュアルスノーでは無いため全くもって伝わらなかった。

見えないのが普通らしいからそりゃそうだと言われればそうなのだが…

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Red-blue-noise.gif

影響を受ける。

気づいている人は多いと思うが、私は多くの人に影響を受ける。

影響を受けてよりよくなろうと自分なりに努力する。

 

おそらく私は周囲の影響を受けやすいのだ。

興味や関心の移り変わりが早い特性に拍車をかけていると思う。

私が影響を受けるのは人だけではなく、季節の変化なども含まれる。

中学2年生の11月からコンサータを服用し始めてから、身体にストレスや疲れが『発熱』として出るようになった。

高校に入ってからは周囲の刺激に良くも悪くも敏感になった。

新型コロナウイルスの流行で生活様式が急激に変わったこともその理由の一つだ。

教室で食事が摂れなくなった。

空腹感は感じるけれど、口に食べ物を入れても飲み込めなくなった。

食べたいのに、食べられない、食べたくない。

15、6年の人生で初めてそう感じた。

秋から冬にかけては気温が低い(温暖な気候といえど冷える)、スカートで生足なのもあって、身体が冷えてしまい、頭痛に悩まされた。

そのときに必ず『37.5℃』以上の熱が出た。

1時間、保健室のベッドで休ませてもらった。身体が温まって熱が下がり、少し楽になった。

昨年の夏のある日、教室の席は中央の1番前、エアコンの冷風が後ろから首に当たっていた。

朝から頭は重かったのだ。いつもある事だから、大丈夫だと思った。

午後になる頃には身体が熱く、首や肩にインフルエンザになったときの関節痛に似た痛みを感じた。

『なんだかいつもと違う』そう思って保健室に行った。

検温をすると38.6℃あった。

放課後デイに行く予定なので早退はできない。それに母はまだ仕事中だから連絡しても気づくことができない。

その後のことはあまり覚えていないが、母に迎えに来てもらったのだ。

 

私は『変化』には非常に弱いのだ。

季節が変わる度に風邪を引き、教室では毎日くしゃみをしている。

 

実はつい先週もテストのために生活のリズムを少し変えた。

その変化に自分がついていけず、テスト最終日前夜に37.5℃の微熱。

不安でおちおち眠れないので、ほとんど頭が回っていない中、必死に勉強をした。

必死さが報われたと思えばいいのだろうか、幸運なことに翌日のテストの結果は大変好い(よい)ものだった。

 

自分の体質や、特性は仕方がないと思う。

工夫を凝らして生活するしかない。

その工夫が難しいこともあるが…

影響を受けやすいのも悩みどころではある。

自分の原点を振り返る。

私は九州地方の西方、中途半端に田舎なところに生まれました。(自分で書いててめっちゃ失礼だと思いますが、このままにしておきます。)

私の両親はこのようなところで書くのはあまりよろしくないと思いますが、どちらとも最初は別の人と結婚して子供が居たんです。

あまり上手くいかなかったようで離婚して、2度目の結婚、それで私が生まれたってことです。

私と100%同じ血を引く人は居ないってことですね。

母と母の前の旦那さんとの間に1人、私とは20離れた姉が

父と前の奥さんとの間には2人、(多分)10くらいは離れた姉と兄が

母の方の姉には小さい頃から可愛がってもらってたとは思います。

2つ下に甥が居るのでその子が産まれるまではですけれど。(3学年下に姪が1人、8つ下に甥がもう1人居ます)

血縁関係はこれぐらいにしましょうか。

 

私は4歳、5歳くらいまでは母を主に困らせながらも可愛がってもらって育ったのだと思います。

私が5歳から6歳の間に、母方の祖父母が亡くなってしまい、今まで心の支えになっていた祖父母を失くしたショックからか母がおかしくなってしまったんです。

母は祖父母(特に祖母)に話をすることでストレス発散をしたり、何かしらアドバイスを求めて居たのだと思います。

それが出来なくなって、他にも理由はあるのでしょうが、私に酷く当たるようになりました。

と言っても、ただ理不尽なことばかりではなく、理由もあり、私も当たられる理由がわかっていることもあったので、一概にそれらを虐待とは言えないのです。

でもあまり良いことは言われてないですし、何と言うか、その頃は姉が夜勤の時などに歳の近い甥や姪を預かっていたので、「孫」と「子供」の差を目の当たりにしてしまいました。(子供はしつけなければいけないけれど、孫は手放しで可愛がることが出来るということです)

母の意にそぐわない行動をしてしまうと、叱られ、時には叩かれることもありました。

物を片付けない時などには家の外に追い出されることもありました。

比較的新しい記憶では、「役立たず」、「使えない」という言葉を言われたと思います。

新しいとは言っていますが、5年は前のことなので。

小学生の頃は父が酷く叱られた私の話を電話をすると聞いてくれて、慰めてくれた記憶があります。

(父は仕事の事情で家に居られないのです。)

中学生になってからはそういった母から当たられることが無くなったと思います。

中学1年の6月にリス〇で騒ぎを起こして、そこから私の発達障害が発覚するに至るのですが、前に投稿した記事に詳しくは書いてあると思うのでそちらで見られた方が良いかと。

 

そこから、私にどう接したら良いのか少しずつ母は理解してくれていて、今ではかなり良好な関係になっています。

私は母にとって「やりにくい」子供だったって事なのですよ。

以前は。

今は、感覚的なところで似通っているので良い相談相手って感じです。

 

私の心にひとつ深い傷を付けてしまったのは母です。

けれども、私の心にゆとりを持たせてくれる言葉をくれるのも母なのです。

 

あと単に打たれ強くなります。はい。

変にポジティブなくらいに

私の自閉症的部分

私のことを知って欲しい。

そう思う、だけれどその思いとは裏腹 の行動をしてしまう。

 

周りの人たちが何気なくこなせること、(例えばマット運動だとか)私からすれば、バンジージャンプするくらいの恐怖、それを乗り越えるための勇気が要る。

だけれど、それを周りの人に知られないようにおくびにも出さないように隠す必要がある。

勇気を出すためには少しの時間と安心感が必要なのに、周りの人には知られたくなくて、不安を抱えたまま行動する。

すると大抵は上手くいかなくて、悔しい思いをする時もある。

 

私の頭の中はこの世界、宇宙、自分はなぜ自分なのかの不思議と恐怖、不安を頭に詰め込んで生きてる。

それでもなんともないように装っている。

 

自閉症だった私へ」のドナ・ウィリアムズはどうだったのだろう。

彼女はどういう気持でこの世界と向き合っていたのだろう。

 

他にも自閉症の人たちの気持ち、もっと知りたい。

私の中の矛盾と向き合うためにも。

いつかの私が考えたこと

ふと思い出した。

幼稚園に行っていたときだったか、小学生になってからだったかもう分からないけれど、いつの日か私は考えた。

「何故スカートを履くのが女の子だけなのか、男の子がスカートを履くのはおかしいことなのか」

そして私にしては珍しく、それを母に聞いてみた。

帰ってきた答えは

「男の子がスカートを履くことはあんまりない」

というような内容だったと思う。

 

その時は某国のキルトのことなんて知らない。

けれど、スカートに似たような服を男の人でも着る国は無いものだろうかと考えた。

 

そんな所があってもおかしくないと思った、そんなことを考えた。

 

この時から私は変わった考えを持った1人の人だった。
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生きてて良かった

ああ、生きてて良かった。

小さな頃から「死ぬ」ことが怖かった。

死なないように、危険だと思ったことはできるだけ避けて生きてきた。

大袈裟に聞こえるが、普通に「怖いな」と思うことはやらない、「食べたくないな」(好き嫌いの問題だけでなく、衛生面、安全性等も含まれる場合もある)と思えば食べない、私の舌や鼻もあまり添加物が入った食べ物を好まないので比較的シンプルな味付けの物ばかりを食べるのだ。

ただそれだけ。

小学二年生の12月末、「世界が2012年の大晦日で滅亡する」みたいなことを聞いた。

多分母が好きなオカルト系の番組だった。

その時から

「自分はどこから来てどこへゆくのか、自分が自分という存在であるのは何故なのか、何故自分は自分という身体、意識を持っているのか」

というようなことを考え出した。

今でもふとしたときに考える。

決まってだんだん怖くなって考えるのをやめてしまうが、自分の理解には必要な作業であると思っている。

 

私は周りに上手く馴染めるような子供ではない。

当たり障りのない内容の話はできるが、どちらかといえばオタクじみたことが大好きなので、陽キャ女子(明るくていつも賑やかな女子のこと)とかいうのには相性が悪いのだと思う。

甲高い笑い声はとても苦手だ。

バカにされた時ようなクスクスとした笑い声も。

騒がしいのは苦手だ。

 

「死を避ける」ためのセンサーである耳がその声で邪魔されて、感知出来なくなるから。

「危ないこと」も「怖いこと」も分からなくなって、転びやすくなったり、どこかに手足をぶつけやすくなったり、怪我をする確率が上がるから。

 

「危険」を察知するためにあるはず視力は元々悪かったようで、飛行機雲を描いて空を高く飛ぶ飛行機を10歳でメガネをかけて生活するまで生まれてから見えたことがなかった。

昔は裸眼でも見えていたはずの星空も、今じゃただの闇と化してしまった。

 

できることも増えるかわりに、その代償に今まで出来ていたこと、できて当たり前だったことがどんどん出来なくなってしまった。

 

 

私はこれからどうなるのか、分からないけど、生きていて良かったそう思ってる。

 

人生の幕を閉じるときは、「生きていて良かった」と言える人生にしていきたい。


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