自分の原点を振り返る。

私は九州地方の西方、中途半端に田舎なところに生まれました。(自分で書いててめっちゃ失礼だと思いますが、このままにしておきます。)

私の両親はこのようなところで書くのはあまりよろしくないと思いますが、どちらとも最初は別の人と結婚して子供が居たんです。

あまり上手くいかなかったようで離婚して、2度目の結婚、それで私が生まれたってことです。

私と100%同じ血を引く人は居ないってことですね。

母と母の前の旦那さんとの間に1人、私とは20離れた姉が

父と前の奥さんとの間には2人、(多分)10くらいは離れた姉と兄が

母の方の姉には小さい頃から可愛がってもらってたとは思います。

2つ下に甥が居るのでその子が産まれるまではですけれど。(3学年下に姪が1人、8つ下に甥がもう1人居ます)

血縁関係はこれぐらいにしましょうか。

 

私は4歳、5歳くらいまでは母を主に困らせながらも可愛がってもらって育ったのだと思います。

私が5歳から6歳の間に、母方の祖父母が亡くなってしまい、今まで心の支えになっていた祖父母を失くしたショックからか母がおかしくなってしまったんです。

母は祖父母(特に祖母)に話をすることでストレス発散をしたり、何かしらアドバイスを求めて居たのだと思います。

それが出来なくなって、他にも理由はあるのでしょうが、私に酷く当たるようになりました。

と言っても、ただ理不尽なことばかりではなく、理由もあり、私も当たられる理由がわかっていることもあったので、一概にそれらを虐待とは言えないのです。

でもあまり良いことは言われてないですし、何と言うか、その頃は姉が夜勤の時などに歳の近い甥や姪を預かっていたので、「孫」と「子供」の差を目の当たりにしてしまいました。(子供はしつけなければいけないけれど、孫は手放しで可愛がることが出来るということです)

母の意にそぐわない行動をしてしまうと、叱られ、時には叩かれることもありました。

物を片付けない時などには家の外に追い出されることもありました。

比較的新しい記憶では、「役立たず」、「使えない」という言葉を言われたと思います。

新しいとは言っていますが、5年は前のことなので。

小学生の頃は父が酷く叱られた私の話を電話をすると聞いてくれて、慰めてくれた記憶があります。

(父は仕事の事情で家に居られないのです。)

中学生になってからはそういった母から当たられることが無くなったと思います。

中学1年の6月にリス〇で騒ぎを起こして、そこから私の発達障害が発覚するに至るのですが、前に投稿した記事に詳しくは書いてあると思うのでそちらで見られた方が良いかと。

 

そこから、私にどう接したら良いのか少しずつ母は理解してくれていて、今ではかなり良好な関係になっています。

私は母にとって「やりにくい」子供だったって事なのですよ。

以前は。

今は、感覚的なところで似通っているので良い相談相手って感じです。

 

私の心にひとつ深い傷を付けてしまったのは母です。

けれども、私の心にゆとりを持たせてくれる言葉をくれるのも母なのです。

 

あと単に打たれ強くなります。はい。

変にポジティブなくらいに