発達障害と診断されるまでの経緯
私は中1の3月(2018年)頃に思春期心療内科がある病院に行きました。
私が行ける思春期心療内科がある病院は2つ。隣県の病院Y病院か隣(?)の市のO共立病院です。
思春期心療内科にかかる経緯は2017年6月、中学に入学して2ヶ月、教室でリスカをしたことが(主な)原因です。
他にも色々あったのですが、のちのちお話します。
病院で検査(って言っていいのかな?)を受けたのは2018年4月1日です。水曜日でした(なぜ覚えているかと言うと、水曜日にしか思春期心療内科の先生以下M田先生がいらっしゃらないからです。)
私の担当の先生はO共立病院の副院長のM田先生でした。その先生以外にO共立病院には思春期心療内科の先生は居ないのです。
中学の同級生2人も行く時間帯や日にちは違いますが、M田先生にかかっていました。
話がそれてしまいました。私が受けた検査の結果を聞いたのは同月の18日。
M田先生からは自閉症スペクトラムと診断されました。
私の場合、耳から聞いた情報を覚えることや、頭の中で自分の意見を膨らませていくのが得意で、目で見た情報を覚えることや、素早い反応は苦手でした。
M田先生は「発達障害と言うけれど、凸凹が激しいってだけのことだよ。だから発達障害じゃなくて、発達凸凹って呼ぶべきだよね。」
と言ってくれました。
私にとって発達障害は小学生の頃から私はこれに近いと思っていて、あまり驚きはしませんでした。
発達障害のことは「光とともに…」という本で知っていて、(こういうことは何故か覚えているので)私もそうではないのかな?と思ってはいたんです。
母は驚いたでしょうし、まさか自分の娘がそうだったとは思いもしなかったでしょう。
そして自分の育てかたが問題では無かったのだと、私のことがわかってほっとしたでしょう。
私は小さい頃はかんしゃくを起こすこともあって、言葉が通じないようで、母からしたら未知の生物みたいなものでした(-∇-)
その反面、3歳で幼稚園の先生が読んだ話を1度聞いただけで覚えて、その本を手に取り文章をなぞる仕草を真似て読み聞かせをしていたこともありましたから…
それからは、何かトラブルがあったりする度に予約を入れてM田先生とあっていました。
2019年1月頃からコンサータを服用し始めてからは、月1で通っています。
私的には先生と話さなくても病院に行く道のりや先生に会うだけでも少し安心(?)する感じだったので、トラブルのことなどを話すのはもっぱら母でした。(自分で話せよって私も思いますが)
最近はそう荒れることもないので診察時間がめっちゃ短くて3分かからないんです。(どの患者さんも同じようですが…)
先生の患者さんは多いんだなって…
私が住んでいる県自体思春期心療内科が少ないので、需要があるのでしょう。
私も他の先生に変わった方が良いのかな?とたまに思います。
まあ良い先生には変わりないですし、よくしてくれてるんだって思います。
写真と記憶
私が初めて自分のカメラを持ったのは小学2年生のクリスマスです。今でははっきり覚えてないけど何かのきっかけで写真を撮るのが楽しいと思ったから、おもちゃでもいいからカメラが欲しかったんです。
結構安めのデジカメを父が買ってくれました。
嬉しくて嬉しくて、産まれて2ヶ月くらいの甥にカメラを向けて撮ってました。(そのとき甥は笑ってるときが多かったので良い被写体だったんです。)
小学4年生の12月頃に、3DSを初めて手にしました。
カメラ機能があったので写真を撮りまくってました。
それから、中2の7月にスマホが…(以下略)
当然カメラがついてるんで、気に入った景色とか撮ってました。
それで気が付いたのが、私はものすごく忘れっぽいというか、なぜか突然一瞬で記憶(その時まで話していた内容とか)がなくなったりすることがあったんです。
でも写真に収めたその一瞬は写真を見るだけで思い出せるんです。
一瞬だけでなくその前後、
どんな気持ちだったかどんな音がしたか、どんな雰囲気だったかがすぐに思い出せるんです。
だから私にとって写真は私の記憶です。
それにしても不思議ですよね笑( ´ ▽ ` )
なんでだろう…
私が行ってる学童。私の大切な居場所。
私は学童に行ってます。
正確には障害がある子を預けられるところです(児童発達支援と記してありました。)。
ほとんど学童なので学童で良いんですが…( ¯▿¯ )
その学童のことをこれからステップ(仮名)としましょう。
ステップには様々な年代の子ども達が利用しています。
だいたい幼稚園(保育園)児~高校生までですね。
私が利用できるのも今年合わせて3年です(´;ω;`)
地域の学校に行ってる子も居れば特別支援学校に行ってる子も居ます。
特別支援学級の子もいますし、私のように通常級の子も居ると思います。
通常級の子が来るのは中々レアケースみたいです。
その分、それぞれ環境が違う中で過ごしてきたので、良い刺激になって楽しいのではないでしょうか。
私は同年代に友だちがいない訳では無いのですが、友だちのほとんどがアレルギー持ちだったり、環境の変化に敏感に反応する子なので、あまり外に出たりということがないんです。
私も環境の変化には弱いですし、結構身体も強い方では無いので人のことは言えないのですが( ̄▽ ̄;)ハハ……。
つまり、色んな子がいて、色んな刺激があって、時に泣いたり、時に叱られたり、
みんなで笑ったり、家にいたらできないこと、学校でもできないことができる。
家でも学校でもない、第3の居場所。
親御さんにとっても私たちのお世話で目まぐるしい日々の中の一休みになると思います。
今は新型コロナウイルスによる感染症の影響で、平日は午前と午後で分けられています。
マスクも必須ですし、三密を避けるって言ってもパーソナルスペースがほぼ0の子も居ますから先生達も大変な時期です。
でも、土曜日には三密をできるだけ避けられるようなところにお出かけして体を動かしてリフレッシュしたり、お出かけ出来なくても、新しい遊びを作り出したりと楽しく過ごせるような工夫をして下さいます。
何かできるようになったら褒めて、悪いことをすれば叱ります。
叱る時もあまりにひどい暴れ方やわがままを言う時でないと大きな声を出すことがなく、ほとんどの場合、冷静に叱るのです。
これは私や周りの子にしても助かります。
大きな声や音で集中が途切れたり、叱られてないのに叱られてるように感じたりする子も居ると思うので。
私くらいだと思うのですが、先生たちとのおしゃべりもすごく楽しくて、ステップに来てる子たちも、かなり個性派ぞろいなので、笑いがつきません。
事業所ごとに違いがあると思いますが、私から見たらとても楽しい所です。
障害があるお子さんが居る方で、児童発達支援を考えられてる方には1度見に行かれてはとすすめたくなります。(余計なお世話ですが…)
子供たちにとって、遊びはとても重要です。
遊びから学びへと歩むきっかけにもなるのではないでしょうか?
↑私の手(グレーの袖)とその手を挟むきー君(仮名)の手
自分は何?止まらない疑問と恐怖
「自分は何?」「自分が私(夏蓮)なのはなぜ?」と小学生くらいから考え始めました。
考え始めるとその思考は留まることを知りません。
「私って何?」「どこから私という意識は身体っていう入れ物に入ったの?」「私は今どこに居て、どうやって意識を保っているの?」という風に。
すると今まで「私は私」と当たり前に感じていたのに、その感覚がなくなって「私って何?」「夏蓮ってほんとに自分のこと?」
「自分は誰なの?」という疑問に囲まれて中々抜け出せなくなります。
『自分が自分じゃない何か』
に変わるスイッチがこの疑問なのです。
その『何か』を私に戻すスイッチは様々です。
肩を叩かれたり、喋りかけられたり何か刺激を受ければ止めることができます。
それでも、何かの拍子に疑問が頭に浮かんできてスイッチを押してしまうと、『自分が自分じゃない何か』に変わって「私」はどこに居て何をしてるのか、わからなくて怖くなるんです。
これを書いてる今でも心臓がドキドキ(悪い意味で)して怖いです。
『自閉症』の方にも自分の身体と意識が離れているような感覚の人がいると聞いたことがありますが、私もそんな感じなのかな?
と言っても私の場合『自閉症』じゃなくて『自閉傾向』ってだけなんですけどね…( ´ ▽ ` )
拙い文をここまで読んでいただけて嬉しい限りです。
いつもありがとうございます。
これからも少しずつ自分の思いを文字にしていこうと思ってます。
良かったらこれからも読んでいただければ幸いです。ー夏蓮
家族の定義
家族の定義ってなんでしょう。
一緒に住んでいること?
血が繋がっていること?
人によって違うのだと思います。
私にとっての家族の定義は「同じ家に住んでいる人」。
私に血の繋がりがある人だと、両親や兄弟、姉妹が近い人です。
私の家族は、母と父です。
私には姉が2人、兄が1人います。
何故姉と兄が家族に入っていないかというと、一緒に住んでおらず、姉の1人とは会ったことすらないからです。
昨年、担任の先生に「家族3人って言ってたけど、お兄さん居たんだね!」っておしゃべりしてたときに言われたんです。
そのときは「はい、居ますよ( ̄▽ ̄;)ハハ……」と返した気がします。
兄とは2、3回会ったことがあるくらいです。
もう1人の姉は母と前の母の旦那さんとの間に生まれた子です。
私とは20歳離れてます。私には2つ下の甥が1人、3つ下の姪が1人、8つ下の甥が1人居ます。
その姉の子たちです。歳が近いし、上の2人はよくうちに預けられてましたから、それだけ交流(?)があります。
先に書いた兄と姉は私の父と父の前の奥さんとの子です。
兄が1番私と歳が近いのでしょうが、それでも10歳くらい離れてます。
少し前まで兄と(会ったことがない)姉の名前も知りませんでした。
だから、私の家族の定義は「一緒に住んでいる人」なんです。
私には会ったことがない人に「この人は家族だ」って言われるほどの寛容さがないから。
こう答えるしかないんです。
秘密があります。One
私には秘密があります。
自分の家庭環境が当たり前だと思うフリをしていること、歳の近い甥や姪に「居なくなったら…」と思ったこと、出来ないこともできるように見せていたこと、穏やかになったように見えて実際は何ひとつとして穏やかになっていないこと、挙げればきりがないのです。
「この人、わかってなくても分かったって言うから」と2ヶ月ほど前中学のクラスメイトに言われたのです。(3月まで中学生でした。)
確かに、間違ったことは言ってません。
だって私わかってなくても分かったって言いますから。
そうじゃないと、いけなかったんです。
私が生きていくためには。
最近になって母がこう言ったのです。
「あんたのことが前は本当に分からなかった。なんで周りの子とは違うのか。」
「言うことを聞かない。話が通じてない。
どうしようもなくなって、あんたのことを叩いてた。」って
私も母にそう思われてると知らなくとも、私のことを愛してないわけじゃないことは分かってました。
でも分からないことをひたすら母や周りの人に聞くのが怖かった。
叩かれたことなんて関係ないかもしれないけれどそれくらい怖かった。
なんでなのか自分でも分からない。
けれど誰かに何かを教えられるのが怖かったんです。授業なら大丈夫なのに個人的に教えられるのが母に叩かれるときくらいとても怖かったんです。
だからわかってなくても分かったって言ってたんです。
この怖さの原因は自分でも分かりません。
高校では私にとって人に聞くことが重要になると思うから、克服したいのです。
私の秘密の1つお分かり頂けたでしょうか?
拙い文で申し訳ないです。